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仕事に‘自信’を持っているヤツは素敵だ。 生き方に‘自信’を抱いているヤツも大好きだ。 何か一つの事について‘これにかけては自分が一番だ!’と肯定的な錯覚をしているヤツは素晴らしくキュートだ。 そもそも‘自信’とは何ぞや?・・・と又しても私の脳ミソが思考暴走を始める。 この脳ミソは厄介なシロモノで、中年妄想族に走ってしまう傾向があるが、ひとまず流れに任せてしまおう。 私は幼い頃から‘一人禅問答’で、とことん考えて考えて考え抜いて、自分なりの真理を見い出してきた。 この脳ミソの仕組みは何歳になっても変わらない。 その禅問答の結果、私が定義した‘本当の自信’とは以下の通りである。 「自分の身に起こる事象に、‘全て自分にとって良き事が起こっているのだ’と強烈で凄まじい意味付けを真剣に出来る能力」を指す。 しょせん、私たちは好むと好まざるとに関わらず、外的刺激に影響を受けて生きていく。色々な事象が手を変え品を変え、我が身に訪れる。 この外的刺激を、‘ラッキー!ツイテるぅ〜、幸せぇ〜’と捉えて心豊かに感謝のうちに生きていくのか、‘不運、最悪ぅ〜、こんなはずじゃなかった・・・’と嘆きながら恨みながら生きていくのか、その違いは自信の持ち方によって決まる。 自信に満ち溢れているヤツは、どんな事象にでも、‘これ絶対、俺にとって凄くいい事なんやわぁ〜ッ!’と思い込み、そして結局、そのいい事なのだという意味付けを自分で完結させてしまうヤツなのだ。 時間が経てば、全て良き事だったと分かる。 ここにも時間薬の効果効能があるのかも知れぬ。 ありがとうございます、感謝。自信に満ちた生き方を心掛けると、自分の人生が大切で素晴らしくかけがえのないものに思えてくる事。 ありがとうございます、感謝。自信に満ちた生き方に到達するには必ず通らなければならぬ修羅の関門がある事。 ありがとうございます、感謝。修羅の関門の先に悠然と待ってくれているだろう黄金に輝く世界。(この世界の住人になった時の境涯が、完全なる悟りなのだろう。そして究極の自信なのだろう) |
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