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‘諦(あきら)める’の語源は‘明らかに見極める’である。 いつまでも執着して掴んでいるのではなく、ゆるやかに手離していくのが賢明な知恵という事か。それがストレスからの開放になる。 私にも、そろそろ明らかに見極めようと思う事がある。 プライベートな事なので、私の近しい友人以外は誰も知らない。 だから公のブログに詳細は書けぬが、ある目標に向かってずっとずっと頑張ってきた。 何度も何度も挫けかけたが、その都度仕切り直して希望を繋げてきた。 歯を食いしばってストレスと前向きに闘って、明るく明るく考えてきた。 特に2月の初旬からこの2ヶ月間は、天地が引っくり返る奇跡が本当に私の身に降臨するのではないかと期待させた。希望と絶望の繰り返しの中、一筋の光が見えかける瞬間が何日かあった。 もしもこの奇跡が現実化すれば、研修や講演で熱く語る予定だった。 この体験談は、世の多くの悩める人に元気と勇気を与え、希望と安らぎを与える処方箋になるはずだった。 しかし、もうそろそろ執着から離れて諦めようと思う。いや、明らかに見極めようと思う。 未来先取り思考を駆使し、万能である感謝道をもってしても諦めざるを得ない事もあるのだ。 問題の根が深すぎて、さすがの感謝道もお手上げである。 私自身が目標を手離すのは自然の流れなので、悔しさとか悲しさは感じない。 ただ私は感謝道をお伝えする身である。その点で悔しさが残る。 感謝道にも不可能が存在するのを認めざるを得ないのが悔しい。 感謝道の限界の壁を知らせなければならぬのが悔しくて堪らん。 しかし冷静に熟考してみた結果、気付いた事がある。 それは、‘執着から離れて諦めるコース’は、実は感謝道が運んでくれた必然なのだと。 私が掲げた目標はあくまでも‘私レベル’であって、‘感謝道レベル’から見ると、それは現実化しないのが必然なのだと。 つまり、感謝道は‘可能性が数パーセントしかない奇跡を現実化する魔法’ではなく、‘その人のレベルに合わせた必然の気付きを運ぶシナリオライター’なのだ。 ありがとうございます、感謝。感謝道の定義と認識が深まるきっかけとなったプライベートの絶望。 ありがとうございます、感謝。感謝道の願望実現法としての機能は万能ではないが必然であるとの学び。 ありがとうございます、感謝。感謝道に‘一切お任せ’と委ねきれてなかった実践者としての浅さに気付けた事。 |
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