研修講師〜『浦上俊司の感謝ブログ』

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zoom RSS 『ヤンキーの兄ちゃん』

<<   作成日時 : 2006/06/26 17:35   >>

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目を覆いたくなるような凶悪犯罪が連日のように報道される暗い日本の現状だが、感謝道を歩む修行者は凶悪犯罪の見方にも工夫が必要だ。

私は以下の3ステップを踏むようにしている。

まずは第一ステップ。
常識では絶対に理解できないような凶悪犯罪であっても、それを犯す因子やそれに巻き込まれる因子が自分のDNAの中にはあるのではないかと、まずは振り返って反省する。

続いて第二ステップ。
テレビであれ新聞であれインターネットであれ、その犯罪が起こった現実を目の当たりにする事により、自分の中にあった危ない因子が完全消滅したことに感謝する。(現実の出来事を見せられた事で宇宙のシナリオがひとつ完結した)

最後に第三ステップ。
関係者の心の痛みを自分の中に取り入れて祈る。少しでも心の傷が癒されますように、少しでもこれからの人生に希望の光が差し込みますように、少しでも犯人を憎む感情が緩和されますように・・・と。

今日のニュースで知った21歳の集団抗争事件。
事の発端は女性関係のもつれだったという。

実は、私も高校時代に危ない経験をしている。
当時17歳だった私は同じ高校の彼女と付き合った。
私の高校の中では‘ミス○校’と評判の綺麗な女性だった。

しかし、この彼女が何故か知らぬがヤンキーに人気があった。ちなみに私はヤンキーではなく森村誠一にハマる文学青年だった。(‘なんちゃってヤンキー’程度の代物・・・)

そして地元の工業高校の‘恐い系ヤンキー兄ちゃん’の間に、なんとあろうことか「○○○○(彼女の名前)ファンクラブ」というのが結成されたのだ。
さらに彼らにとってのアイドルと付き合っている男がいるらしいとの消息がヤンキーの耳に入るのも時間の問題だった。

私の存在がバレた。

ファンクラブの会長と称するヤンキーから自宅にかかってきた電話。(思えば当時は個人情報もクソも無かった。自宅の電話番号も生徒会名簿見たら一発で分かるやん)

「お前なぁ〜〜。○○と付きお〜と〜らしいな〜!今すぐ別れんかえぇ〜〜〜ッ!」
「い、い、嫌です・・・。」
「なんやてぇ〜〜。はよ別れな、お前、姫路の街歩けんようになるど〜〜ッ!」
「ひゃ、止めてください・・・。」
「分かっとんか〜〜〜ッ!こらぁぁ〜〜ッ!」
「いえ、わ、わ、分かりません・・・。」

と言ってガチャンと私は電話を切った。

それ以降、何回もかかってきたが無視していたら、ついに来よったがなぁ〜。放課後、私の高校の門の前で4人組が待ち伏せしとんがなぁ〜〜〜!

ヘンテコな改造自転車に思いっきり股を広げて乗っている奴が一人。ダブダブの制服ズボンにリーゼントで固めた奴が同じような改造自転車に二人乗り。もう一人は紫色に塗装した原付のパッソルにまたがり、背筋をピンと伸ばして大股開きの足元は女性もんのサンダルを履いとる。よ〜見たら眉毛あらへんがなぁ・・・。

メッチャ恐かったが、彼女を守るんだ!との青き純粋な勇気が17歳の私を突き動かしたのだろう、意を決して門まで一人で行った。

「お前が浦上っちゅーんかえ〜〜。ちょ〜顔貸せやぁ〜。」と言われ、ヤンキーに拉致された。(といっても近くの公園にだが)

そして・・・・。

公園で一触即発の緊迫感の中、私は話し合いに応じた。
もし殴られそうになったら、その時点で大声をあげてダッシュで逃げようと心に決めていた。
私の高校近くには交番があったので、いざとなったら泣きながら駆け込もうと心に決めていた。
しかし、なんとか話し合いで許してもらおうと頑張った。(そもそも私は何も悪い事をしてないので、許してもらおうというのも可笑しな話なのだが・・・。しかし相手には理屈は通用しない)

延々、30分くらいの話し合いだったと記憶する。
話の内容は今となっては覚えていないが、なんせ相手を刺激しないように細心の注意を払い、卑屈になるでもなく、かといって威嚇するでもなく、淡々と‘普通の高校生らしいお付き合いです’と爽やかに応える事に終始した。

結局、殴られる事も金品を要求される事も強制的に別れさせられる事も無かった。
そして最後にはヤンキーがこう言ったのだ。

「お前なぁ、もし他の高校の奴が何か文句言うて来て危ない目にお〜たらなぁ、俺の名前出したらええわ。誰でもビビリよるやろ。」

そ、そ、そうかッ!
何がどないなったんか分からんかったけど、ヤンキーが私を気に入ってくれたのだ!

これ以降私には危ない目は訪れなかったし、もし訪れたとしてもそのヤンキーの名前を出す事はしなかったが、ヤンキーでも心は荒んでなかった時代だったのだと今分かる。
昔のヤンキーは人の命を殺めるまでの事はしなかったと今思い出す。
便利な時代を手に入れると同時に人としての心を失ってはならぬのだ。

有り難う御座居ます、感謝。私を思いっきりビビらせたけど、とどめは刺さなかった25年前のヤンキー。
有り難う御座居ます、感謝。あれ以降肉体をパンプアップさせることに興味が湧いた放課後の事件。
有り難う御座居ます、感謝。傷害事件になっててもおかしくなかったのに無事に済んだ微妙な境界線


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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
なるほど・・・ちょっと稀な体験ですね。(だってあの頃のヤンキーって結構「硬派」だったじゃない?好きな女が選んだ男に「別れろ」とは口が裂けても言わなかったような気がするな〜。なんか男らしくないな〜。)
そう書いててふと思い出したんだけど、私は「女」に脅された経験があります。中学校の頃に付き合ってた女性と別々の高校に進学し、程なくして別れたら、ある日そのモトカノの友人ヤンキー姉ちゃん数名に呼び出され取り囲まれて散々毒つかれました!!曰く「二股かけてた」とか「新しい彼女を脅す」とか・・・。でも女に手は出さない主義(当たり前か!?)だった私は、じっとこらえました。ちなみにわずか3日ほどですが二股かけてたのは事実だったもんで、私も反論のしようが無かったというのが本当のところで。あの頃のヤンキー姉ちゃんは皆なが〜いスカートはいてて、結構友人思いの熱い連中が多かったですな。男も女もヤンキーは「硬派」な時代でした。だから結構後腐れは無かったですね〜。なんかそれがワルのオキテだったような気が。いつからワルが本当に格好悪くなってしまったんでしょう?(長々とコメント失礼しました。)
kodama
2006/06/26 22:05
児玉さん、コメント有り難う御座居ます。

いやはや児玉さんの育った広島の地は、さすが‘任侠の街’だけあって硬派ですなぁ。
姫路のヤンキー姉ちゃんも当時、引きずるような長いスカートを穿いてましたわ。
ほんでセーラー服の上が極端に短かったですなぁ。

古き良き時代でした。

浦上俊司
2006/06/26 23:23

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