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今日は地元の子供会の取り組みで、近所の公園の草むしりに行った。 20代の独身時代、ボランティアと対極の世界で生きていた利己主義の私が、草むしりに行かせて頂けるのは子供の父になったお陰だ。息子と娘に感謝が深まる。 しかし単なるボランティアで終わっては勿体無い。 学びを見つけよう、気付きに繋げようと思惟しながら鎌を上下に動かしていると、草の様子が何かのメッセージをくれる。 そもそも草の存在価値は何なのだろう? 人体に無駄なものは‘喉チンコ’以外には何一つ無いというごとく、自然界にも無駄なものは何一つ無いはずだ。 にもかかわらず草は刈られる。 花は大事に扱われる。 芝は大切に保存される。 しかし草だけは無情にも鎌の餌食になる。 草に痛覚が宿っていればムッチャ痛いやろなぁ〜と心配しながらも鎌を鋭角に入れる。 そして気付いた。 草の存在価値は‘刈られるためにある’のだ。 ‘刈られる’という存在価値だ。 もっと言えば、‘刈る’行為によって人間に‘修行に挑戦する勇気’を与える存在価値となる。 人生における‘必要悪’と同じなのかも知れない。 そう気付くと、鎌を握る力に一層の握力が加わった。 ありがとうございます、感謝。アスファルトの割れ目から逞しく雄雄しく生える草の姿に必要悪からの‘挑戦の姿勢’を感じた事。 ありがとうございます、感謝。必要悪なき人生は退屈な人生になり、必要悪ありの人生はエキサイティングな日常に変化するとの気付き。 ありがとうございます、感謝。9月もエキサイティングな日常が1ヶ月間続くだろうとの月末の覚悟。 |
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雑草は、人の目に付かないところ、劣悪な環境にあっても、したたかに生命を宿しています。雑草あるところに魂あり。雑草=魂。「草魂」(by鈴木啓示)。 |
多田 2008/09/01 12:37 |
多田さん、ありがとうございます。 |
浦上俊司 2008/09/01 13:08 |
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