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父の命日だ。大好きなノムさんの誕生日でもある。 今から14年前、平成6年の今日、朝日が昇り始め薄明るくなりかけた病室でみんなに囲まれて父は逝った。 1ヶ月ほど小康状態を繰り返していたが、前日28日の夜からから容態が悪化し、一晩中、父のベッドの横で夜を明かしたシーンを鮮明に記憶している。 明け方に私が一瞬だけ席を外し、病院の駐車場に下りたほんの数分の間に一気に血圧がド〜ンと下がった。 ベッドの周りにいた叔母たちが血相変えて私を呼びに来た。 「俊ちゃん、兄さんが急に・・・」。 病室に戻ると、先生が父に馬乗りになって胸のあたりをグイグイ押していた。 ‘頑張れぇ〜’という祈りに近いエールを送る気持ちと、‘あんなに押して胸骨折れてまわへんのかなぁ〜’という妙に冷静に観察する気持ちが私の中に同居した。 2〜3分が経過しただろうか、心電図が突然ピーッと悲しげな音を立てて波形が横一線に変わった。 「残念ですが・・・」との汗だくになった主治医の声を聞きながら、私は‘なんかのドラマでよく見たシーンやなぁ〜’などと、いやにノンビリした気分でいた。 不思議と涙は出なかった。 それは数ヶ月間に亘り父の看病をした母の大変さが、やっとこれで解放されるとの安堵もあったし、何よりベッドの上1〜2mほどに元気な父が浮き上がっているように感じたからだ。 それは、ここ数ヶ月間の衰弱しきった父ではなく、元気だった時の矍鑠(かくしゃく)としてダンディでおしゃれが好きだった父だ。 微笑をたたえたような‘浮き上がった父’の表情を見ると、何かを成し遂げたような、最期まで諦めず逃げず闘い抜いたような‘達成感’を味わっているようだったからだ。 ‘これで良かったんだ、我が人生に悔いは無し’との父の感情がストレートに私に届いたからだ。 当時は中学生向け教材の飛び込み訪販でガムシャラな毎日を送っていた私は、今のように精神世界には全く興味のない時期だったし、クラボウから首にされた悔しさが心の中心に居座り、息子のあどけない笑顔が心の支えとなり、必死で闘う現実主義・物理主義の毎日だった。 しかし今にして思えば、いわゆる‘魂が抜けていく状態’だったのかなぁと想像する。 勿論まだ感謝道は実践する前だったし、後の借金地獄を呼び込むマルチ商法にも手を染める前だった。 だから父は私の壮絶な人生の苦しみを知らずに逝った。私の今の職業も知らずに逝った。 子供が苦労する姿は、親としては見たくない。 だから父は「幸せな生き方」だったし、「穏やかな逝き方」だったのだと今思う。 亡くなる直前に見せた‘営業マンランキング実績表’の全国1位の欄に載る私の名前にニッコリ笑ったのが、私が出来た最期の親孝行だった気がする。 ありがとうございます、感謝。次男坊の私をことのほか可愛がってくれた父。 ありがとうございます、感謝。この世での私の苦しみを父に見せずに済んだ私の宿命。 ありがとうございます、感謝。父があれほど欲しがった娘を父の亡き後に授かった私の運命。 |
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いい話をありがとうございます。 |
GIジョー 2008/06/29 18:10 |
GIジョーさん、コメントありがとうございます。 |
浦上俊司 2008/06/29 18:19 |
私たちの人生は多くの苦しみ、悲しみや試練に満ちていますね。 |
GEORGE 2008/07/11 15:29 |
GEORGEさん、コメントありがとうございます。 |
浦上俊司 2008/07/11 16:50 |
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