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あまりにも「命の重み」を軽く扱い過ぎている。 生きてこそ主義主張が通るもので、死を選んで遺書にメッセージを残したところで何の問題解決にもならないと思うのだ。 鹿児島の女性教師、パワハラの相手に遺書で悔悛を迫っても解決ではない。 未履修の校長、自らの命を持って償うとの遺書が残されても解決ではない。 死者に鞭打つ事になってはいけないが、‘責任を取る’とは生きてこそ為し得るものであって、死を選ぶのは‘逃避’である。 私の世代では「命の重み」を教えてくれたのは学校の先生だった。 その「先生」と言う聖職に就く人が命を軽く扱っては生徒にどんな示しが付くのだ・・・。辛くても苦しくても困難の渦中にあっても、歯を食いしばって乗り越えようとの強さを生徒に見本として示すのが真の人間教育ではないのか? そして、次の世代にしっかりと伝えるべきなのは‘自殺を美化しては絶対にイカンッ!’ということだ。生徒の中に‘潔い正義’とかの曲解を刷り込んでは絶対にイカンッ!ということだ。 私の中学時代の先生は、「おまえらなぁ、自殺したらアカンぞ!自殺するんやったら今まで喰うた飯代を親に返せ!」とデカイ声で言っていた。 詳しい意味は不明だったが、14歳の私には妙な説得力があったと記憶する。 この言葉で、私にタダ飯を喰わせてくれる両親に感謝が深まったものだ。 有り難う御座居ます、感謝。言葉の深意よりも気迫で気持ちを伝えてくれた我が恩師。 有り難う御座居ます、感謝。タダ飯を喰わせてくれた両親の愛。(男兄弟二人を成人させるのに何千万かかったんやろ?) 有り難う御座居ます、感謝。この大きなうねりの中で改善されるであろう未来の教育制度。(学習指導要領に‘感謝’や‘生まれてきた意味と価値’といった必修科目を入れてくれ。‘世界史’より役立つぞよ) |
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